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THE GRAMOPHONE NEWS 第1号 1994年10月 

シリーズこの人に聞く 五十嵐一郎氏(オーデイオ評論家)聞き手:磯貝建文(弊社代表)


1994年から99年まで私たちは”THE GRAMOPHONE NEWS”と題した会誌を発行していました。紙面はレアーな商品の紹介記事や、イベント、弊社のオリジナル・サウンドボックス”HOTOGY”の開発過程やオリジナルCDの制作情報などで構成されておりましたが、その中にオピニオン的な意味も込めて「シリーズこの人に聞く」と題したインタビューページを設けておりました。

この欄の第1回と第2回にはオーディオ評論家として知られる五十嵐一郎氏にご登場いただきました。

五十嵐氏には創業間もない1970年代から蓄音器やSPレコードの本質的な価値についてご指導をいただき、その幅広い見識は弊社の方向性に大きな影響を与えてくださいました。

インタビューは蓄音器を中心に音楽再生の真髄に触れたもので、4半世紀を経た現在においても変わらぬテーマをお話しされています。


THE GRAMOPHONE NEWS NO.1 (1994年10月10日)より

シリーズ・この人に聞く 1五十嵐一郎氏


 シリーズとして、国内外で活躍中のオーディオ研究家、蓄音器、レコード・コレクター等の方々にご登場いただき、我々に興味ある様々な話題について語っていただきます。

初回は、月刊『ラジオ技術』誌を中心にオーディオ研究家として長年活躍なさっている、五十嵐一郎さんにお話しを伺います。聞き手はシェルマン代表の磯貝です。


ー ここ数年アナログ、デジタル論争が盛んですが、蓄音器を専門に扱っている私共とすれば、それに先立つテーマとも云える、アクスティックとエレクトリック再生について、それぞれをどのように理解したらよいのか、その両者に優劣はあるのか等の話題に大変興味があります。専門家としてのお立場から今日は、その辺りのお話しをいろいろお聞かせいただければと思います。


「話すと限りない、一番の大問題ですね。アクスティック再生、エレクトリック再生と僕らが云うのは、SPの音とCDの音、SPの音とLPの音の事を云うのですが、それをさらに分けて、SPはモノラルに決まっているけれど、LPの場合には途中からステレオが出て来ました。LPについてはモノラルがいいか、ステレオが良いかと云う論争がさらにその中にある訳です。そして最近では、ご承知のようにアナログかデジタルかの論議が行われていますよね。

 その中で特にアクスティック再生とエレクトリック再生の違いと云うことについてお話しすると、現代科学は測定科学と云われていますから、パラメーター・メソッドである測定値、測定量を基準に判定してみると、圧倒的に現代に近い物、SPよりLP、LPよりCDが良いんですね。ところが面白いもので、パラメーターが優れているからと云って、その判定と音の善し悪しの評価とイコールにはならないのですよ。パラメーターは音の善し悪しの判定基準として必要条件ではあっても、音の評価の十分条件ではないと云う事なんですね。たとえば、測定してみると SPに比べてCDのほうが圧倒的に周波数特性が広く、ヒズミが少ない。けれども、ただその事柄だけが音の善し悪しの判断基準にはならないと云う事です。そんな事から、新しいパラメーターが出て話題となっています。それをタイム・ジッターといいます。音を再生したとき原音に無いものが出て来る事が多々あります。それがいわゆるヒズミ、英語で云えばディストネーションです。いままで我々は、ヒズミを振幅パラメーターにのみ解釈していたんです。音の大きい小さいで。たとえば、再生装置は5とか10とかで入っている音はそのまま5とか10で再生出来るけれども、1000位の大きな音になると途中でアンプがへばってしまって、950くらいでごめんなさいをしてしまい、全部の音が出て来ない。そのかわり、もとの音とは関係ない余分な音が出て来てしまう。それを振幅ヒズミと呼んでいるのです。

 それに対してタイム・ジッター、あるいは時間経過現象は、時間軸上にもヒズミが起こると云う分析法があります。時間的に今なら今出なくてはいけない音が、出てはいけないその後の時間軸上に出てしまう。

まあ、そうした面から云うと蓄音器の音はパラメーターではとてもプアーです。周波数特性について云いますと人間の耳の可聴囲は20から20000ヘルツといわれていますが、ヒズミは別として電気再生装置ではそれをカバーしています。ところが蓄音器ではそこまでの広いレンジの音の再生は不可能です。

 にもかかわらず、蓄音器の音がすばらしいのは、このケースではこんな表現しか出来ないのですが、再生されていないある種の音が、一つの完成された音として意識する我々の聴覚に働きかけてくる、からではないでしょうか。」


 ー それと関係あるかどうか分かりませんが、蓄音器の場合、レコードが終わった後もその演奏の余韻が残響音のようしばらく残る様に感じられるのに、現代のシステムでは曲の終了と同時にスパッと全部がおわってしまう。私が蓄音器の音について一番思うのは、音楽を聴くと云う事は理論ではない、と云う事なんですね。要するにいくら立派な理論がそこにあっても、人を感動させることがなければ、ただの理屈に終わってしまう。理論に感心する事はあっても感動はしないのではないでしょうか。


「その辺りが難しいところなのです。そうした考えは作る側のエンジニアに関わる事柄でもあって、確かに音作りに大きく影響すると思います。

SP、LP、CDその全ては情報の記録の方式と云っていいでしょう。情報の記録と云ってしまえばそれだけの事だけれども、録音の情報猷をいかに多くするかのあくなき追及はエンジニアにとって極めて重要な研究課題なのです。それは最も今も昔も変わっていないはずです。

ただ、今の技術者は自分の仕事の成果をとかくパラメーターで表現しようとする傾向がありますね。

 それに対して、昔のエンジニアは情報というものを量と捕らえず、質としても捕らえようとしていたのではないでしょうか。これは私の造語ですが、ミュージカルアイを「情報質」として重要視していたように思われるのです。

 今の人は質と量を同一のものと見なしてしまう傾向にありますが、昔の人はその絶対的な違いをはっきりと聴感で理解していたと云うことでしょう。では、「情報質」を良くするためには蓄音器での再生のように周波数の上下を切った方が良いのか、というとそうではないと思います。情報伝達論の教えるものは、広帯域を要求しています。しかしSP再生においては、なまじっか広がっているより切れているほうが良いと僕は判断しますね。」


一 我々素人が簡単に結論づけられるほど単純な世界ではありませんね。


「本当に、こうした事柄を一口に結論づけるのはとても難しいことなのです。対象であるオブジェクトをどう見るか、聴くかによります。つまるところ、いつの場合にもどっちの音が良いかという評価はリスナー自身に帰するものと云うことではないでしょうか。聴こえるこえるとか聴こえないとかはマイクロフォン的な感度で話が決まるんでそんなに難しい事ではないんです。それから先は全部リスナーそれぞれの過去の体験、教養、生活状況がジャッジしているんですね。そう解釈する以外ないと思います。生活環境も違えば教養も違う人ではどっちが良いかという結論も異なるでしょう。従ってどちらのシステムが良いかと云う判断は個々によって違って当然だとおもいます。

ならば、五十嵐さんはどの方式が好きかですかと云う事であれば、僕はSP、LP、CD、そして最近のDCCまであらゆる方式を聴いています。その中でどの方式が一番良いかと云う事ではどれを取ってどれを取らないと云うことはないですね。

ただ、どれに一番時間を割いているかと聞かれるとね ・ ・ ・ ・。

 SPを聴いていますよ。同じSPでも特に演奏と云うものに興味をもつと、巨匠のデビュー当時、ラッパ吹き込みにまで行くことになりますね。」

ー2につづくー


五十嵐一郎

会社役員 オーディオ評論家

月刊誌『ラジオ技術』ディスク・レビュー欄 “HISTORICAL”担当(掲載当時)